平成20年度自主企画事業   第二回公開講座

 「生涯学習は語り部〜被爆の体験談〜」

          
  講 師 桶 田 岩 男
 (函館生涯学習インストラクターの会会長)

【生涯学習の実践を学ぶ】
◇日 時  平成20年9月29日(月)午後6時半から ◇場 所  函館市青年センター
◇主 催  函館生涯インストラクターの会         ◇参加者  一般公募9名会員11名
●司会者 濱田 運営委員

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講義の内容

・被爆者になった経過について。
私は、昭和4年3月1日生れです。岩手県一関市(東山町)日本百景名称 げいび峡の出身です。
観光地を訪ねて下さい。岩手県観光大使からお願いします。
当時、戦前教育を受けて学校には馴染まず、学業もあまり良くなく学校に弁当を食べに行くのが雄一の楽しみでした。処が自分ではクラスで何か一番になりたいという思い。14才で海軍特別少年兵(特年兵)に応募する。当時は兵役は、15才以上が適用され海軍は予科練・陸軍は少年航空兵が募集されていた。戦況の悪化により、将来の幹部候補生のために海軍特別少年兵(特年兵)として国際法では15才以上が兵役を破り、通称昭和の白虎隊(実は特攻隊予備軍であった)と言われクラスで一番になりたいという願望かあって応募しました。当時は1万5000人が教育を受けていたが、5000人は戦死したと言われています。

広島市に原爆投下(昭和20年8月6日午前8時15分)

1年余りの衛生兵教育3ヶ月位海軍衛生兵学校で教育中であった。広島市より50キロ離れた場所であった。原爆投下されたとき爆音が大きく全員が退避した。その後も指示なく広島市内方向を見ると、虹色の美しい光線ときのこ雲がきらきらと輝く光景であった。
その後、私達は早急に救護隊が編成されて広島市内に救援に向いますが、その当時の乗り物は(貨物自動車)木炭車にて出発まで30分以上も時間を要した。また、距離も50キロでは約2時間を要した。
市内に到着出来ず路面電車は止まり外壁が焼け中には死体が、家は燃えて一帯が焦土化していた。車はそこを走れず隣まち横川町の警察署前広場にテントを張り救護所にする。

・この時の情景は、生き地獄を見た〜

防火用水溜めの水を求めて人が折り重なり死んでいる全身火傷し。防空壕の中は?中を覗くと人間の蒸し焼きの状態、中には苦痛のためコンクリートに爪をかけ削りの痕跡があり、焼け爛れた死体が多くそのまま入口を閉鎖して救護隊に引継ぎお願いした。
・兵隊さん助けて、水を下さい〜水を求める悲痛な声……生きていても真夏のため衣服は焼け爛れ裸のまま水を求める。救護隊は治療するが食塩水の注射をしますが間に合わず海水をろ過して使用した。包帯を使用したが間に合わず机の上で治療したが息を引き取り、死体は土の上に積み重ねるしか方法がなく、その後火葬場に運ばれたそうでした。

・迷子が救護所の前に40〜50人呆然として〜子供達は孤独になり、驚きと嘆きで自分の名前住所も言えずに、唯うろたえていた。放射線で焼け爛れ、爆風で飛ばされ、人間の姿でなく、死臭は激しく、救護隊に炊き出しがあり、空腹でありながら食する事ができない惨状でした。
救護の前に死人の山となる〜死体はトラックで運ばれて行くが積み下ろしは人の手では出来なかった。

・3日目に突然他の救護隊と交代になる?交代の時始めて原爆であることを知った。この時に長時間交代しなければ救護隊も白血病になることを知らされた。私共は全員大量の放射線を浴びた。

・世界で唯一日本人しか体験していない…?

被爆した、私達が世界中から核を排除しなければならないと、市内で被爆した5人位で活動をしていますが、このように恐ろしい原爆の現実を語り伝えることが、世界の平和と幸福な社会の形成につなげる役割が重要視されるべきです。
・道南の被爆者は73名中37名の人が死亡 現在36名の被爆者がいます。
被爆者の死亡者は99%が何らかのガンを発症して即ち放射線が原因です。被爆者は健常者と同じですが体内の血液が被爆していない健常者より白血球が5分の1程度で怪我や外傷をすることが危険なことです。
・また被爆2世、3世の問題が……遺伝すると言うことで被爆者は真実を語らず、就職、結婚の不利を差別を恐れていました。被爆者に対する協力・支援。世界から核の廃絶運動、被爆者の体験談を語れる環境づくりが大切なことです。

・アメリカが、世界にその威力を示すため?

今 水爆の威力を高めて、世界中が核戦争に抵抗し人種や宗教あらゆる差別化等、更に国際テロを排除して人類が恒久的平和を求めることが最大の課題です。
・日本人しか体験していない…?我が国が敗戦が明白な時期にアメリカが原爆の威力を広島・長崎投下して確認に利用されたものと考えられる。
・原爆は国際法上禁止されていたにもかかわらず当時の国家権力者の圧力に屈指されたものと思われた。
また、現在我が国では被爆者の原爆症認定に困難をしています。アメリカの原爆症の認定は、核の生産されている仕事に携われているだけで原爆症患者として身分保証されています。我が国と各段の差があり、核の保有している各国を全人類的に無視はできない活動が最大の課題です。
これらの公開講座で情報を発信することも生涯学習実践活動です。



★当日、被爆被害のパネル20枚展示された

講師の講話から 文責 事務局