月例会5月 講 話

テーマ 函館と防災

種田義信 会員

▲ 世界の歴史に残る「函館大火」

函館は、明治以来100戸以上焼失の大火が28件にも及び、特に昭和9年3月21日に発生した火災は、11.105棟、22.667所帯を焼き、死傷者1万1千名以上(死者2.166名)にも及ぶ世界の大火史にも残るものとなり、火災都市函館の名が全国的に知られることになった。
函館に大火の多かった理由としては、当市の建築物の大部分が木造で、かつ密集しており、加えて10メートル以上の強風の日が年の3分の1以上にもあり、火災の延焼拡大の危険性が宿命的であったことなど、当市の気象的悪条件と建築様式によるところが大きいと言える。
また、昭和9年の大火についての主な要因としては、火災発生場所が、市街地から離れた水利の希薄地区であり、台風なみの低気圧による強風などが挙げられている。

なお、大火とは一般的には大規模な火災、あるいは広域にわたって多くの家屋を焼いたものを呼んでいるが、具体的な定義はないのです。現在、大火の基準らしきものは、「消防白書」の資料欄に掲載している昭和21年以降の大火があり、そこの「注の欄」に「大火とは、建物面積が3万3千平方メートル以上の火災である。」と記載していることから、一応の目安となっているのであろう。
外国の大火として有名なものには、聖書に語られているソドムとゴモラの大火、皇帝ネロの放火と言われるローマ炎上、1666年のロンドン大火、1871年のシカゴ大火、1906年サンフランシスコ市の大火などがあります。
また、日本の大火としては、大正12年(1923)の東京市の震災火災(関東大震災)、明歴3年(1657)江戸・明歴の大火、明和9年(1772)江戸・明和の大火、享保9年(1724)大阪・享保の大火などがあります。

▲ 函館の複雑な気象

低気圧のコースと風向の関係……過去の台風や低気圧の道南地方通過の状況をみると概ね3通りに分類することができる。
低気圧が通過するコースによって風向は、次の経過によって移行変化する。
・@ コース (江差町沖) 東の風で始まり―南西―やがて西にまわる。
・A コース (津軽海峡) 東の風で始まり―北―やがて西にまわる
・B コース (三陸沖)  北の風で始まり―西―やがて南西にまわる
@コースを通過した例として、昭和9年3月の函館大火があり、昭和29年の洞爺丸台風がある。
両者とも風が主体で降雨はあまり見られないのが注目される。
Aコース・Bコースを通過した例として、昭和45年1月の融雪災害の例があり風とともに相当量の降雨を記録する場合もある。
昭和45年1月の融雪災害の例を説明すると、この低気圧はAとBコースの併用型で同時に2つの低気圧が概ね平行して北進しAコースの低気圧が津軽海峡を通過して根室沖でBコースの低気圧と合体した。                          

気圧の表示は日本海付近の気圧配置と考えなければ意味のないものであるが、気圧の推移と風向・風速との関係は深く、これらを総合的に判断することによって、概ねその気象の予測が可能と思われる。このように気象を予測するうえで、気圧の観測は極めて重要である。
函館市の地形は、海に突き出した砂丘からなり、しかも先端に函館山を擁する関係から市街地における風向・風速その他気象的条件は非常に不安定かつ複雑です。
沿岸地域としての昼夜間の風向・風速の変化、さらに函館山山麓地帯での風の迂回など1ヵ所の観測点のみでは函館市内の気象を図り知ることは困難です。
特に防災に関係の深い風向・風速について考えてみても一定の法則を見出すことは困難であるが、函館市消防本部では実験的に弥生・青柳・古川及び消防本部の4ヵ所で観測したデーターを分析し危機管理の対策をしています。

以上